世界の怨念を吸え!【祝祭の呪物展レポ】
呪いとは人類の歴史と共に生まれ
人から人へ、あるいは何らかの姿なき者から人へ
様々な経緯で伝承され、そして強い念を持って信じ続けられた
「願い」 そして 「祈り」 である。
皆さんは「呪い」を信じていますか?
「信じ難いけど、ちょっと怖いな…」と思っている方が大半ではないでしょうか。
筆者もそうです。

Bar OUTER HAVEN で体験できるサービス
半分しか信じていないので、こういうサービスができるわけです。
そうそう、呪いって現在の日本の法律では罪に問われないそうですよ。
呪った事を相手に伝えた場合は脅迫罪などに問われるケースもあるそうですが、知らせなかった場合は、たとえ相手がどんな事故に遭おうと罪が成立しないそうです。
元来、呪いは人に話してはいけないと言われているものが多数です。本当に呪いが成就したとしても罪には問われず、成就しなくても自分がスッキリするなんて、現代における呪いって良い事ずくめじゃないですか。
藁人形サービスを提供しているBarの店員として、とことん呪いのグッズと向き合ってやろうじゃないの!
「祝祭の呪物展」in 東京
(日本橋 BnA_WALL)
本日もまもなく開始!
13:00〜は5/27の来場チケット販売がはじまりますよ✨https://t.co/s6hV5cNISV
— アシタノホラー@祝祭の呪物展✦6/3まで (@asitanohorror) May 21, 2022
そんなわけで、話題になっていた「祝祭の呪物展」に行ってきました!
最終日になんとか滑り込みました。
会場前は物凄い行列。ここに並んでいる人間はもれなく、呪いの呪物を見物しにきたのだと思うと凄みがあります。この日の天気は最終日にふさわしく、ベールのような薄い雲が空を覆い、雨が止んだかと思えば突発的な大雨・雷・あられなどが降るような奇妙な天気でした。
整理券を貰うと室内へ案内され、さらに1時間半ほど待つと、会場内へと案内されました。

耳の欠けた猫の置物。所有すると不幸になるらしい。
来場してすぐさま目が合ってしまった。
人を無条件に不安にさせるような、体が極端に湾曲した猫の置物が入り口のすぐ近くに鎮座していました。
会場内の混雑は運営側の配慮で、展示を見るにも時世的にも適した混み具合でした。
展示会場には本当か嘘か分からない、しかし個々に禍々しいオーラを放つ呪物たちが佇んでいます。

『チャーミー』 今展示のメイン。
今回の展示のメインとして据え置かれていた人形。可愛がると死ぬらしい。
ミャンマーの部族が呪いに使うネックレス、所有者が不幸になる油絵、死神の姿をした女神像、覗くと狂って死ぬ鏡など様々な“曰く付き”の品々が並ぶ。

廃屋に釘で打ちつけられていた、身体が新聞紙で作られた人形。
会場の中でも、特段に「負」のオーラを放っていて惹きつけられてしまった展示。
黴臭いぼろぼろになった小さな着物から声が聴こえてきそうでした。
この人形の身体は新聞紙で作られているそうだが、その新聞はとある記事について書かれたものらしい…
色々と想像を巡らせてしまいます。
他にも「目を合わせると話しかけてくる」デスマスク(死人の顔を形どったマスク)や、高僧の砕いた頭蓋と樹脂を固めて作った盃など、何故だか分からないが視線が引き寄せられてしまう置物がいくつかありました。
この「何故か魅了されてしまう」という美的感覚とも芸術的感覚とも違う感覚は、確かに何と形容したらよいか分からない感覚でした。
「不安」と「危険」と「安心」、そして「願い」が全て一緒くたになっている。
「不調和」が鑑賞者を引きずり込むことによって「調和」に変わる。
それそのものが完成しているからこそ強い魅了の力を持つ美術品と違い、不調和で不安定であるにも関わらず(だからこそ、なのか)魅了の力を持つ呪物というものに面白さを感じました。
これとか、ちょっと可愛いね。

ストーカー被害に効く「縁切りの魔術」が込められた置物。
あれ……?
ちんぽこ付いてるじゃねーか!!!???
じゃねーか…
じゃねーか…
まとめ
出所の怪しい眉唾物の品もあれば、人を惹きつける不思議な品との出会いもあり、とても楽しかったです。
総括して「本当かは分からないが信じてみたい…!」と思えるような物語付きの呪物が多くありました。
この展示物を見たことで自身の具合が悪くなることはありませんでしたが、呪いに対する認識は少しだけ変わったように感じます。
呪いというのは、同じ想いを何度もなぞることによって蓄積される“何か”があるのかもしれない。
そんなように思えてくるのです。人の想いや言葉や行為の蓄積が、科学で未だ証明されない“何か”として蓄積され、強いエネルギーを持つのでは……?
『まどか☆マ◯カ』みたいな事を思ってしまいました。
"XXXX"
1つだけ、ひときわ心惹かれた展示物があった。
ある民族の面だ。
首狩りを行い、頭蓋を神に捧げる儀式のために使う面である。
私は曲がりなりにも絵描きの端くれだ。
学者も画家も、対象をスケッチすることで、その対象を深く理解する。
私自身、対象をスケッチすることで、その対象と会話ができるような気がしている。
この妙に心惹かれる面の細部を観察することで、呪物と心を通わせられるのではないだろうか?
そんな風に思って、周りに迷惑を掛けてしまうことも承知で、半ば衝動的にスケッチブックを開き、ペンを走らせた。
「目」を書いた時、なんだか触れてはいけない“何か”に触れてしまった気がした。